現在サンディエゴ・パドレスに所属し、2023年3月に行われたWBC(World Baseball Classic)では精神的支柱として日本代表を世界一位に導いた、ダルビッシュ有選手。
ダルビッシュ有選手は高校時代から注目されており、最近では背が高い投手が注目されると「難波のダルビッシュ」などとキャッチフレーズにダルビッシュ有選手の名が使用されることも多々あります。
ファンの中にはそんなダルビッシュ有選手の学歴について気になるファンもいるでしょう。
今回の記事では、小学校からの学校遍歴を中心にダルビッシュ有選手の学歴について紹介していきます。
ダルビッシュ有のプロフィール
生年月日 1986年8月16日
出身地 大阪府羽曳野市
ポジション 投手(右投げ右打ち)
高校時代には2年春夏、3年春夏の計4回に甲子園に出場。
3年春の甲子園では1回戦に大会史上12度目で10年ぶりとなるノーヒットノーランの偉業を成し遂げる。
2004年にドラフト1位で日本ハムファイターズに入団。
日本ハムファイターズでは3年目からエースの役割を果たし5年連続防御率1点台と驚異的な成績を残す。
2011年にポスティングシステムを用いてテキサス・レンジャーズと契約をする。
メジャーではレンジャーズの他に現在所属しているサンディエゴ・パドレスをはじめとして3つの球団を渡り歩いた。
ダルビッシュ有の出身高校・大学とは?
まず初めに、ダルビッシュ有選手の出身高校・大学について紹介していきます。
ダルビッシュ有選手の出身高校は宮城県にある私立の男子校(当時)東北高校です。
この高校は1984年に開校の伝統校であり、硬式野球部はもちろんの事ゴルフ部や陸上部などの他のスポーツでも強豪校として有名で、たいへんスポーツに力を入れている学校になります。
・親元を離れる事が出来る高校
・野球部にありがちな厳しい上下関係がない高校
高校生から親元を離れて生活するなんてすごいですね。
ダルビッシュ有の偏差値は?
ダルビッシュ有選手が通っていた東北高校の普通科スポーツコースの偏差値はウェブサイト「みんなの高校情報」によると42だそうです。
偏差値50がいわゆる頭の良さが全国民の真ん中であるため偏差値42という数字はそこまでよい数字ではなさそうですね。
しかし、ダルビッシュ有選手をはじめスポーツ科に通うような生徒は高校を勉強の良し悪しというよりはスポーツの成績で入学しているため実際はこの数値より高い可能性もあるかもしれません。
実際に、ダルビッシュ有選手はどう投げたらボールがどう変化するのかを研究するのが幼いころから好きだったと過去に語っておりかなり知的なイメージはありますね。
ダルビッシュ有の高校野球の成績は?
ダルビッシュ有の高校時代の成績はどれほどのものだったのか気になるファンもいるでしょう。
ここからは、ダルビッシュ有選手の高校時代の成績について紹介していきます。
ダルビッシュ有選手の高校通算成績
- 登板:67
- 奪三振:375
- 防御率:1.10
ダルビッシュ有選手の高校通算成績を見てみると通算防御率1.10と驚異の成績でこれは今シーズン一番NPBで防御率の高かった山本由伸選手の1.21を上回る数値でありいかにダルビッシュ有選手が高校生の中で突出していた選手だったかが分かりますね。
また、ダルビッシュ有選手は2年と3年の時に東北高校のエースとして甲子園に出場しており、2年生夏の大会では準優勝を果たし、3年生の春の大会では大会史上12人目のノーヒットノーランを達成しています。
ダルビッシュ有選手はまさに野球のエリート街道を歩んできたのですね。
ダルビッシュ有の出身中学校とは?
ダルビッシュ有選手の出身中学校は大阪府羽曳野市にある羽曳野市立峰塚中学校です。
中学時代のダルビッシュ有選手は学校の野球部ではなく地元の野球チーム「全羽曳野」に所属していました。
ダルビッシュ有選手は中学2年の時からピッチャーに専念しだし、中学3年時にはエースとしてチームを全国ベスト8に導きました。
また、中学生の日本代表として世界大会に出場し3位にも輝いており、ダルビッシュ有選手の実力は当時から同年代と比べて突出したものがあったみたいです。
ダルビッシュ有の出身小学校とは?
ダルビッシュ有選手が小学生時代通っていた学校は大阪府羽曳野市にある羽曳野市立羽曳が丘小学校です。
ダルビッシュ有選手は小学2年の時に地元の野球チームである「羽曳野ブラックイーグルス」に所属しています。
当時は、アイスホッケーと掛け持ちをしていたそうです。
もしかしたら、今のダルビッシュ有選手の体使いのヒントにアイスホッケーの経験が生かされているかもしれないですね。
ダルビッシュ有はドラフト単独1位指名で日本ハムに入団
いままでダルビッシュ有選手の野球での成績を見てきましたがまさにエリートと呼ぶにふさわしい成績でしたね。
しかし、ダルビッシュ有選手はドラフト時1位指名だったものの日ハムからの単独指名でした。
その理由として主に2つの理由が考えられています。
- お父さんがなかなかのやり手のビジネスマンで入団前から肖像権やグッズのロイヤリティ配分などの条件を球団に突きつけていた。
- 背が高くダルビッシュ有選手をけがさせずに成長させるノウハウや自信がなかった。
プロ入りのインタビューで自分の体を守るための自己管理であったと明かされますが、当時貼られていた「練習嫌い」というレッテルも1位指名を躊躇したきっかけにもなったみたいです。
ダルビッシュ有の初のメジャー契約はレンジャーズ
ダルビッシュ有選手は2011年にポスティングシステムを用いてメジャーリーグに挑戦します。
その時に契約した球団がテキサス・レンジャーズです。
その時に、当時所属していた日本ハムファイターズに払われた譲渡金5170万3411ドルは現在も破られておらず歴代一位の金額となっています。
これらのことからテキサス・レンジャーズがダルビッシュ有選手に多大な期待を寄せていたことが分かりますね。
実際にダルビッシュ有選手はこの期待に応えるようにメジャー1年目に16勝9敗防御率3.90と先発の柱となるような活躍を果たしています。
まとめ
今回の記事ではダルビッシュ有選手の学歴を中心にダルビッシュ有選手の生い立ちを紹介してきました。
やはりダルビッシュ有選手は今もすごいですが昔もすごい選手でしたね。
現在37歳とスポーツ選手としては体力的にきつくなる年齢ではあると思いますが、まだまだダルビッシュ有選手が第一線に立ち大活躍をしている姿を見ていたいものですね。
これからもダルビッシュ有選手を応援していきましょう。
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