90年代に新日本プロレスで活躍し、プロレス界を席巻させた人物の一人として高い認知度・知名度を誇るのが佐々木健介さんです。
また、鬼嫁愛妻家タレントとして一時、テレビで多く出演していた佐々木健介さんですが、そんな彼が古巣ともいえるプロレスの世界ではなんと嫌われている人が多く、事実上追放状態となっています。
今回はそんな佐々木健介さんがなぜ嫌われているのか、嫌っている人物は具体的に誰なのか、これについて様々なエピソードをご紹介します。
佐々木健介はプロレス仲間から嫌われていた?その理由は?
2014年引退興行も打ち出すこともなく、粛々と引退。
普通この手の引退パーティーは、現役選手もある程度参加してもおかしくはありません。
しかし、現役選手や新日本の関係者はこの事を黙殺しました。
古巣の新日本プロレスでは、特に言及もされませんでした。
また現在、獣神サンダーライガー選手や船木誠勝選手といった多くのプロレスラーがYoutubeを始めていますが、佐々木健介さんは彼らとコラボをする様子はありません。
この事からの人望もなさがうかがえます。
では、なぜ佐々木健介さんはここまで人望がないのでしょうか。
佐々木健介がプロレス仲間から嫌われる理由は「かわいがり」がいきすぎた?
佐々木健介選手は、新日本プロレスの道場主として90年代君臨していました。
しかし、この当時佐々木健介選手は後輩や新人に過酷なまでの「かわいがり」を日常的に行っていたといわれています。
新日本プロレスの道場は、先輩の飲食を若手が作るという環境にあり、日常的な雑務もほとんどが後輩の仕事となっています。
さらに、健介さんの場合これにくわえ過酷な練習やトレーニングを強要、これが嫌気をさした選手の多くが離脱していったといわれています。
しかし、健介さんだけではなく、健介さんの師匠であった長州力さんも健介さんが若いころにこういったシゴキを行い、健介さんはそのマネをしているだけでしかなかったのです。
健介さん以外にも橋本真也さんや獣神サンダーライガーさんが後輩いじめを行っていたといわれていますが、健介さんの場合は橋本さんや獣神サンダーライガーさんのように万人に訴える試合のセンスが欠如していたにもかかわらず、後輩に偉そうな顔をしていたことに、多くの若手選手は内心不満をためていたのです。
死人も起きた
さらに、過去には佐々木健介さんの指導のもとでいきすぎたシゴキの影響で2人ほど死んだと言う疑惑があがっています。
1995年、当時練習生であった観瓶広光さんが、新日本プロレスでトレーニングの最中に突如急死してしまうという事件がありました。
- この事件の詳細について二つ説があり、まず一つは佐々木健介選手がスープレックスの投げすぎにより、観瓶広光さんが死んだという説。
- もう一つは現場に佐々木健介選手が指導員としていながらも、観瓶広光さんが危険な状況にいることを見抜けずそのまま死なせてしまったという説。
二つほど説がありますが、恐らく正しいのは後者であるとおもわれます。
これについて、新日本プロレス及び佐々木健介さんは遺族に謝罪をしたといわれています。
もう一つは、ジャイアント落合さんの件です。
ジャイアント落合さんは、落合博満の甥御さんで、総合格闘家としても数多くの成績を残していましたが、プロレス転身をはかり、当時佐々木健介さんが所属していたWJプロレスに入団。
稽古の最中に、激しいトレーニングが重なり突如急性硬膜下血腫で死去されました。
この事件についてはよくわかっていませんが、この時の現場監督としていたのがあの佐々木健介さんだったではないかとの事です。
弟子から告発された
2013年、衝撃的なニュースがプロレス界を席巻しました。
それは、かつて佐々木健介さんの弟子であったプロレスラーの西川潤さんが、佐々木健介さん・北斗晶さん・中島勝彦さんを告発するブログ記事が元だったのでした。
この記事の中で西川さんは、佐々木健介さんのことをSKと称し、下記のように理不尽な暴力を受けたことを告白。
いつものように練習し、そして売店の準備をしているとSKたちが会場入り。事務所の方とも合流し一緒に準備します。そうしていると、事務所の方の携帯電話にSKから「西川、控室に来い」と入りました。
急いでSKの元へ行くと「ちょっと来い」と言われ階段の踊り場へ連れて行かれました。SKは周りをキョロキョロ見渡し、人がいないのを確認すると、思いっきり殴りかかってきました。
髪を鷲掴みにされ、コンクリートの壁に頭を打ち付けられました。頭が一瞬真っ白になり倒れると「立てコラッ!」と言われ立ち上がりました。今度は頬を3発張り手、腹に蹴りを1発入れられ、襟元を掴まれ色々怒鳴り散らされ終わりました。
なぜ喰らわされたのか分かりません。ちょうどこの階段の下が売店だったので、事務所の方やノアのレフェリーの方にも聞こえていたそうです。「大丈夫?」と声をかけて貰いました。
(出典:https://rocketnews24.com/2013/09/04/365347/ )
さらにブログは他の異常な行為も告白。
夜中、道場に着くと社長から選手全員来るように言われて、自宅に向かいました。
「今日、何で西やんが殴られたかわかるか?」
「ここに白いマグカップがあるだろ?でもな、先輩が黒って言えば黒だし、黄色と言えば黄色だぞ。」
「先輩の言うことは絶対の世界だから、先輩に逆らうようなことはするなよ」
と言われました。
(出典:https://news.livedoor.com/article/detail/8042660/ )
ここで登場する社長というのは北斗晶さんのことです。
そして、さらにエスパーリングと称して、かなりひどい暴行を受けたことも証言していました。
デビュー前ということで半端ない受け身の数、スパーリングをやっている時期です。
練習の終盤、もう疲労困憊の中、Nに言われショルダースルーの受け身をやることになりました。
いつもやらないのに、この日に限って初めての技を受けます。
Nに投げられるのですが、変に落ちたのか落とされたのか、わかりませんが、受け身を取った瞬間、背中が詰まり、声も出せず、動けなくなりました。
ここまでなら自分が下手だったのか、相手が間違って変に投げたかの話でいいのですが、ここからが違います。
倒れているとSKに髪を引っ張られ「立てコラ!骨が折れてるわけじゃねぇんだから、やれ!」と言われ、できないですと目で訴えても10回同じ技で投げられました。
背中がヤバイ状態で、自分でも体がおかしいなと思いました。
この時、もうすでに背骨は圧迫骨折しています。
(出典:https://news.livedoor.com/article/detail/8042660/ )
このように日常的に暴力をふるっていたとの事です。
この西川選手がうけていた暴行は2009年頃のものだといわれています。
こういったことから西川潤さんは、健介オフィスを退社。
現在、西川選手はモリオカジュンタロウという名義で活動、現在はインディー系団体を中心に活躍しています。
後輩レスラーから苦言「あの人はおかしい」
佐々木健介さんのプロレスラー時代の後輩である金本浩二さんは、蝶野正洋さんのYoutubeチャンネルに出演。
健介さんのことを批判はしませんでしたが、「どこでキレるのかよくわからない」「ちょっとおかしい」と苦言を呈していました。
蝶野さんはたびたび様々な選手に佐々木健介選手の悪評を言わせようとすることがありますが、恐らく表ざたになってないだけで蝶野さんと佐々木健介さんの間で何かいさかいがあったのかもしれません。
佐々木健介を嫌う人は誰?
では、佐々木健介さんを嫌っているプロレスラーの選手について様々な情報をご紹介します。
あの大物選手も裏では佐々木選手を嫌っているということはよくあります。
最後までお楽しみください。
真壁刀義
スイーツ真壁の異名で有名な真壁刀義さん。
多くのバラエティで活躍している真壁さんですが、実は新弟子時代のころに、佐々木健介選手からのシゴキを受けていたといわれています。
これについて真壁選手は、名指しはしないものの、実際に過去に複数の先輩選手からのシゴキを受けていたことを告白。
このうちの一人が佐々木健介選手であるといわれています。
というのも、真壁選手が新日本プロレスに入団したのは、1996年でこのころはちょうど佐々木健介さんが道場主をしていた時期でもあったのです。
このシゴキを快く思わなかった当時の新日本プロレスの幹部だった山本小鉄さんは真壁さんに「強くなれば誰も文句を言わない」と助言し、蝶野正洋さんも真壁さんをたびたび食事に連れ出し彼の愚痴を聞いていたことで、真壁選手はプロレスを続けようとしていたといわれています。
その後、佐々木健介さんが新日本をやめると、若手選手の重鎮となった真壁さんは道場からいじめを撤廃させることにしました。
安田忠夫
かつて新日本プロレスに在籍していた安田忠夫さんは、総合格闘家としても活躍しており、ジェロム・レ・バンナ選手を倒すなど金星を挙げていたことでも有名です。
そんな安田選手も新日本プロレスに在籍していた時に佐々木健介さんとともにいました。
しかしながら佐々木健介さんに好印象を抱いておらず、インタビューで
「当時新日本の合宿所にいた人間で佐々木さんのことを好きな人間は誰もいないです」
(出典:https://www.excite.co.jp/news/article/E1458712517425/ )
と全否定しました。
永田裕志
永田裕志選手は、現在でも新日本プロレスで試合を行っている名レスラーです。
そんな永田選手は、2004年に突如新日本に戻ってきた佐々木健介選手と試合を組まれることになり、ビデオの中で以下のように語り怒りをぶつけていました。
「そもそもなんでアイツは帰って来たんですが、いえばいいんですよ。新日本しか働き場がねーから生活がなりたたねーんだって。いいんだね、やっちゃって。」
「佐々木健介、今の新日本にお前の居場所なんてねーんだよ、たった一つだけいう。潰してやる!以上!」
実際にこの時期の佐々木健介さんは経済苦に悩まされていました。
永田さんは、長年新日本プロレスを支えてきた屋台船で、自分の都合で退団を繰り返した佐々木健介さんへの憎悪が心の奥底にありました。
この試合は結局流血試合となり、モニターでみていたアントニオ猪木さんが「もうやめろ!死人を出す気かよ!」と悲鳴をあげる異常事態となりました。
試合結果は永田さんの勝利で終わりました。
長州力
現在はツイッターなどで「ハッシュドタグおじさん」として人気のある長州力さん。
長州さんは佐々木健介さんの師匠でもあり、長年ビジネスパートナーとして仕事をしていました。
しかし、WJプロレスの経営をめぐって長州さんと佐々木健介さんの間でいざこざがおき、2005年の「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005トーナメント1回」で対戦をしたのを最後に、その関係は絶縁となっています。
主に長州さんの経営のやり方に問題があり、佐々木健介さんが出した資金が殆ど戻ってこなかったことに佐々木さんが不満を持っていたとのことです。
試合後、佐々木健介さんは「わかりあえるとおもったけど、わかりあえなかった」と悲しい言葉を発し、奥さんの北斗晶さんも「長州さんと試合をすることは今後はない」と宣言しました。
クリス・べノワ
クリス・ベノワ選手は、世界最大のプロレス団体WWEに所属していた技巧派レスラーで、日本ではワイルド・ペガサスというリングネームで知られていました。
ベノワ選手は直接佐々木選手を名指しで批判はしませんでしたが、自伝「リング・オブ・ヘル」の中で、観瓶広光さんの死亡事故に言及していたといわれています。
その本を読んだ海外のプロレスファンは、その内容について以下のように語っていました。
1995年に新日本道場で事件が起きた時に、佐々木健介が関わったとして議論が生じた。
彼は練習生の権瓶広光氏を死なせた事を咎められた。
「リング・オブ・ヘル」によれば、練習中に佐々木は権瓶広光氏が十分に努力していないと思い、投げつけて痛めつけた。
彼は誰からも起訴される事は無かった。
(出典:http://dokuironikki.blog.fc2.com/blog-entry-279.html )
ベノワ氏は佐々木健介さんが起こした事件についてた何かを知っているのかもしれませんね
しかし一部プロレスファンやライターの間では「佐々木健介とクリス・ベノワに接点はない」と言っており、ベノワ氏が佐々木健介さんをきらっていたという証拠にはならないかもしれません。
ちなみにクリス・ベノワ氏は2007年に家族を巻き込んだ一家心中でこの世を去りました。
彼が佐々木健介について何を知っているかは永遠に闇の中です。
マサ斎藤
マサ斎藤さんは、新日本プロレスで活躍した著名なレスラーでした。
非常に面倒見がよく、英語も堪能であることから、ハルク・ホーガンといった外国人選手からも慕われており、愛されていました。
そんなマサさんは、2005年に佐々木健介さんに頼まれて健介オフィスに入りました。
その際に上のみだしで健介さんを告発した西川潤さんのマネジメントなども担当していました。
他のレスラーと違い、佐々木健介さんを嫌っているわけではないものの、そこまで信頼をしていないのでしょう。
西川さんも健介オフィスを辞めた後もマサさんを慕い続けていましたが、2018年パーキンソン病のためにマサ斎藤さんはこの世を去りました。
佐々木健介のwiki風プロフィール
- 名前:佐々木健介
- 生年月日:1966年8月4日
- 身長/体重:185cm(公称)/115kg
- 出身地:福岡県福岡市
- 所属事務所:健介オフィス
佐々木健介さんは、1966年福岡県福岡市で生まれました。
佐々木健介さんは、中学時代から柔道を学び、やがてプロレスラーの長州力さんに憧れ、彼を追って1985年に、当時ジャパンプロレスをかかげていた長州力に弟子入り。
1986年には笹崎伸司さんとの試合でプロレスデビューしました。
その後、師匠であった長州力さんとともに、新日本プロレスに入団。
1989年には、カナダカルガリー地区に海外修業を行い、カナダのプロレスを学びました。
1991年には、新日本プロレスと業務提携していたアメリカのプロレス団体WCWに留学するはずが、留学する前の試合で大怪我を負い、渡米の夢はかなわず終わりました。
やがて、90年代の新日本プロレスを代表するプロレスラーとして君臨しました。
1997年には、新日本プロレスの最高王座であるIWGPヘビー級王座を巻くなど、新日本プロレスにおいてはメインの選手として認知されていました。
また、新日本プロレスにおいては、なんと道場を管理して若手を教育する道場主にも就任していました。
しかし、00年代に入ると、徐々にその人気が低迷、2001年にはアメリカからやってきた「超竜」という異名を持つスコット・ノートン選手に惨敗して、IWGPヘビー級王座を奪われてしまいます。
佐々木選手も大した体格をしていましたが、このスコット・ノートン選手はまさに恐竜のような恵まれた体格をしており、ノートン選手のパワーの前に圧殺されてしまったのでした。
佐々木選手は、実はそれ以前にライバルであった藤田和之選手とこのIWGPヘビー級王座をかけて試合をするはずだったのですが、負けてしまったことで敵わなくなりました。
その際に「正直すまんかった」という言葉を発したことで、その当時のプロレスファンからは失笑を浴びせられました。
やがて、2002年には師匠の長州力が旗揚げしたWJプロレスに参戦するために新日本プロレスを退団。
しかし、そんなWJプロレスも1年半で潰れてしまいました。
困った佐々木健介選手は、2004年に新日本プロレスに戻ってくるものの、もはや新日本プロレスに佐々木健介選手の居場所はなく、それ以降はタレント活動を主として行いながら、他のプロレスリングノアや全日本プロレスといった、古巣の新日本以外の団体にスポット参戦する程度の活動に終わりました。
2012年には自主興行としてダイヤモンド・リングを設立するものの、鳴かず飛ばずで終わりました。
そして、2014年2月11日にはプロレスラーとしては引退を宣言。
現在は、主としてタレント活動を多く行っていますが、近年はインターネットが広がり、後述する佐々木健介氏の問題が大きく話題になることから、タレントとしての活動も年々軽減していっています。
父親との微妙な関係
佐々木健介さんのお父さんは、福岡市で貸金業を営んでいました。
かなり暴力的だった佐々木健介のお父さんは、少年時代から佐々木健介さんに気に入らないことがあると暴力をふるうなど、残酷なふるまいをしていました。
健介さんが3歳ぐらいの時には、いきなりボートから海に落とされるという異常な行為をされたこともありました。
成長した健介さんは、ジャパンプロレスに入団したことで、父のDVから逃げることに成功したものの、健介さんのお母さんにも暴力をふるっていた父ことから、お母さんはある日夜逃げをしてしまったといわれています。
困りに困った父親は、健介さんのもとを訪ね「お母さんとの仲を取り持ってくれ」と懇願するものの、父が嫌いだった健介さんはこれを拒否。
当時貸金業をしていたにもかかわらず借金をして、負債を抱えていた健介さんのお父さんは、精神的に追い詰められ自殺してしまいました。
この事は佐々木健介さんのトラウマとなり、生涯苦しむこととなるのでした。
プロレスラー時代の功績
そんな佐々木健介さんですが、90年代の新日本のメイン選手であった武藤敬司さん、蝶野正洋さん、橋本真也さんの「闘魂三銃士」に並ぶメインイベンターとして、数多くの活躍をしました。
新日本プロレスの最高王座であったIWGPヘビー級王座は5回も奪取、スポット参戦ながらも参戦した全日本プロレスではここでも最高王座である三冠ヘビー級王座を奪取。
プロレスリングノアでは最高王座のGHCヘビー級王座を獲得しました。
2004年にプロレスリングノアで小橋健太さんと行った試合では200超えのチョップが連発するような異常事態がおき、多くのファンからはこれが佐々木健介さんのベストバウトであるといわれています。
実はライト層や中間層からはそのわかりやすい見た目とシンプルなパワーファイトから人気があった健介選手ですが、ヘビー層からはつまらないを意味するプロレス用語「しょっぱい」を連呼されるなど、不遇の目にあってきていました。
そんな中、小橋選手という自分の全力を出せるライバルが出たことは健介さんにとっては、願ってもないことだったのかもしれません。
北斗晶と出会ったのは北朝鮮だった?
そんな佐々木健介さんが、奥さんである北斗晶さんと出会ったきっかけはなんと、1995年に北朝鮮で行われたアントニオ猪木さん主催の興行「平和のための平壌国際体育・文化祝典」でであったことがきっかけでした。
この興行は世界中からプロレスラーを集め、北朝鮮で興行を行うというもので、あの伝説的なボクサーであるモハメド・アリ選手もオブザーバーとして参加していました。
北斗晶さんはここで女子選手として参戦。
その時の夜のダンス会で佐々木健介さんと遭遇、意気投合したことで付き合うこととなり、その後結婚までいきました。
プロレス引退
2014年、2月11日、自身が主催する興行の中で同じく健介オフィスに所属していた弟子・中嶋勝彦選手に敗北した佐々木健介選手はその後、突如引退を発表。
電撃的な引退となりました。
普段、プロレスラーといえば引退興行を開くのが通例なのですが、彼の場合はそれすらなく唐突の引退となりました。
まとめ
今回は佐々木健介がプロレス関係者から嫌われているという情報について様々な事を調べてみました。
- 佐々木健介は90年代に新日本プロレスで活躍していた
- 佐々木健介は新日本プロレスの道場主だったころに、若手や新人に「かわいがり」をおこなった
- 佐々木健介は過去に、弟子からパワハラにあったことを告発されていた
- 佐々木健介は真壁刀義や永田裕志といった新日本の重鎮となった後輩に嫌われている
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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