全方位どこから見てもイケメンで、静止画でもアクションをしていても画になる俳優である山崎賢人さん。
今回はそんな国宝級イケメンである山崎賢人さんについての様々なエピソードを徹底的に検証していきます。
山崎賢人の出身小学校は?
山崎賢人さんは東京都板橋区出身ということが明かされていますが、小学生の時には蓮根小学校に通っていたのではないかと噂されています。
蓮根小学校に通っていた人がSNSに投稿した内容を見るに間違いなさそうです。
先週、都営三田線から母校 蓮根小学校を撮影📸
懐かしい😊
ちなみに、卒業生は、俳優の山崎賢人さんなど😊
すぐ隣の蓮根第二小には、俳優の瑛太さんも😊 pic.twitter.com/cHKcPmWETz— なおやマン(島崎直也) (@naoyaman) December 29, 2019
どうやら山崎賢人さんが通っていたとされる、蓮根小学校の隣にある蓮根第二小学校に同じく俳優である瑛太さんが通っていたようです。
もしかすると板橋区にはイケメン俳優が生まれやすい土地なのかもしれませんね。
サッカー少年だった!?
そんな山崎賢人さんは小学校2年生の頃から中学3年生まで、サッカーに夢中になっていたサッカー少年だったそうです。
負けず嫌いな性格もあり、夢中になりすぎた結果審判に抗議することも多々あったとか。
8年も熱心にサッカーをやっていたのであれば、この華麗なボール捌きも納得ですね。
山崎賢人の出身中学校は?
山崎賢人さんの中学校は「板橋区立志村第五中学校」ではないかと噂されています。
板橋区立志村第五中学校の音楽室に山崎賢人さんの色紙が置いてあったり、卒業後に山崎賢人さんが何度か母校を訪れた際に在校生がSNSに投稿していたりと様々な証拠から、山崎賢人さんは板橋区立志村第五中学校に通っていた可能性が高いと言えます。
サッカー強豪チームに入団した!?
先ほどお話しした通り、山崎賢人さんが小学校から中学の終わりまでサッカーを続けていました。
運動神経が良かったようで、どうやら選抜にも選ばれるほどの実力で強豪チームに所属していたようです。
「ウチのガヤがすみません!」という番組に出演した際にこう語っています。
“出演者から、「結構なレベルのサッカーのチームいたんでしょ?」と聞かれると、山崎は「トレセンというか選抜に行ったりもした”
引用:https://mdpr.jp/news/detail/3879974
芸能界のスカウトを受けた!?
山崎賢人さんは中学3年生の時に芸能界へのスカウトを受けています。
山崎賢人の出身高校は?
中学3年生で芸能界に入った山崎賢人さんでしたが、中学卒業後は板橋高校に入学したのではないかと噂されています。
東京メトロ副都心線の千川駅が最寄りの学校で、中学校からも距離が近いためここが有力視されています。
高校1年時にドラマデビュー!
転校のきっかけとなった理由の1つに、ドラマデビューが関係していると思われます。
山崎賢人さんは2010年に「熱海の捜査官」というドラマで俳優デビューを果たしています。
芸能界に入った翌年にモデルデビューと俳優デビューを果たしていることから、学校生活が困難となり、通信制の学校に転校したのではないかと思われます。
修学旅行や体育祭などの思い出はなかった?
山崎賢人さん主演の「斉木楠雄のΨ難」のイベントでこう語っています。
“「山崎さん&橋本さんの、高校時代の一番の思い出は?」と問われたが、高校1年生時から芸能活動を続ける山崎は「良い青春だったわけではなく、高1の2学期終わりで転校して、通信制に行くことになって。仕事があってあまり学校に行けなくて、友だちが中途半端にできなかった」と明かす。
福田監督から「高校という場所自体に、思い入れはないんだ」と語りかけられると、山崎は「ないです」とキッパリ。橋本が「修学旅行とか、体育祭とかは?」と聞いたが、「行っていないし、行きたくなかった。だって友だち、いなかったんだもん(笑)。(学校の行事ごとは)中学で止まっています」とつぶやいていた。”
山崎賢人の大学進学について
通信制の高校に転校してからも中退することなく高校卒業を果たした山崎賢人さん。
高校1年生の時に出演した「熱海の捜査官」を皮切りに、高校2年生の際には橋本愛さんとW主演を飾る「管制塔」という映画に出演し、高校3年生の時には榮倉奈々さん主演の人気ドラマ「黒の教室」に生徒役として出演しました。
このように俳優業が順調で多忙な毎日を送っていたことから、高校卒業後は大学には進学せず、俳優業に専念していったようです。
そうして着々と俳優としての経験値を積んでいき、2014年に漫画原作の実写化映画「L・D K」にて、ヒロインである剛力彩芽さんの相手役として抜擢されました。
この「L・D K」の劇中で2014年の流行語にもなった「壁ドン」を披露し、一躍時の人に。
そこから2015年の日曜ドラマ「デスノート」で松山ケンイチさんが演じた難役Lを演じ抜き、大ブレイク。
「orange-オレンジ-」「ヒロイン失格」「ジョジョの奇妙な冒険」「キングダム」などと漫画原作の実写化作品において外せない、イケメン演技派俳優となりました。
山崎賢人のサッカーから俳優にシフトした理由
俳優として成功の道をおさめ、着実にスター街道を歩んで行っている山崎賢人さんですが、そこには学生時代の挫折が大きな影響を与えていました。
“「(サッカーの)選抜に行ったりもして。その時にいたJリーグの下部組織の人達が上手すぎて『無理かもな』って」”
引用:yahoo
選抜に選ばれる前はチームのエースとして活躍していたものの、選抜チームでは目立った活躍ができなかったとのこと。
そして挫折の最中、芸能界へのスカウトがあり芸能界入り。
挫折した直後にすぐさま新しい道を突き進んでいけるこのメンタリティこそが、今も輝き続けられている理由なのでしょうね。
ただ最初はやはりサッカーへの未練が捨てきれなかったようで、サッカーをやりながら芸能界での仕事もこなしていこうと考えていたようです。
しかし、芸能界での仕事は生半可な覚悟ではこなせないと気づき、サッカーは趣味や遊びで留めておき、俳優やモデルに本気で取り組もうと思ったとインタビューで語っています。
“「中学までは選手としても頑張ってましたし、将来は選手になれなくてもサッカーに携わる仕事をしたいと思ってました」。最初は夢をあきらめられられず、「サッカーをやりながら、この仕事もやってみようという気持ちでした。でもサッカーは遊びでもできるけど、この仕事は誰でもできるわけではない…と思いながらやっていたら、俳優の仕事の方に興味がわいてきました」”
引用:https://city.living.jp/common/selection/17978/
こうしてサッカーから俳優業へとシフトしていった山崎賢人さんですが、役作りの際にサッカーで培った精神力や忍耐力などが活きているようです。
山崎賢人さんは役作りの際には身体を作るだけでなく、役で必要となる動きを全てトレーニングすると語っています。
“身体を強くすることで、心も強くなると思っています。役で必要な動きはすべてトレーニングします。自分の身体を隅々まで思うように動かすことは難しいですが、そういった部分を特に意識しています。自分で自分の身体を理解することが、表現をする上で大切なことだと思っています”
引用:https://www.oricon.co.jp/news/2296355/full/
この地道な作業はきっとサッカーを本気で取り組んでいた時に培ったものでしょう。
こうしてあらゆる経験を活かして成長していくからこそ成功ができたのでしょうね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
国宝的イケメンであり、俳優としても一流の山崎賢人さんの小学校から俳優までの道のりを詳しく紹介してきました。
また輝かしい経歴の裏で挫折を経験していたりと、人間味が感じられたのではないでしょうか?
新しいことに迷わず飛び込んでいける心の強さと、生まれ持ったビジュアルを活かして、山崎賢人さんにはこれからも俳優として頑張っていってほしいですね。
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